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私はショックを受けました。それでも、ハシカを治療するため、五日間ほど、医院に近い親類の家にお世話になり通院しました。ハシカがすっかり治りました。その後、家に帰りあらゆる手当をしました。念のため酒田市の耳鼻科医院に行き、診察を受けた結果、「コマクが破れてしまった」と言われ神経性難聴とのことでした。
私は農業で働かなくてはならないので、母に頼んで面倒を見てもらいました。息子はいろいろなことで子供たちからいじめられました。言葉がわからないという問題を解決するため、遊佐町役場に行き、いろいろな点でよく相談にのっていただきました。
昭和三十五年二月、役場の人から紹介された酒田ろう学校に入学することになりました。私の家からは通学が不便なので、今はもうなくなった山形県立青島学園に入園し、集団生活をしました。四月、そこから学校に入学し通学しました。
いろいろな行事で息子の顔を見に行ったとき、大変喜んで飛んできましたが、家に帰るときは泣いて一緒に帰りたがり、学園の保母さんを困らせたものでした。
当時の学園の先生方から、面倒を見てもらって、本当にありがたいと思います。当時が数年前のことのように思い出されます。
小学部から中学部までの九年間、酒田ろう学校で義務教育を受け、酒田青島学園で集団生活をしました。毎年、夏休み、冬休みなどに家に帰ってきますが、息子との生活が短いうえに、気持ちが通じなくて話ができないということの辛さを感じました。
酒田ろう学校での勉強は、なかなか大変だったようですが、学園の保母さん、指導員の先生

 

 

 

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